社畜会社員の『生活』『疲労』改善プロジェクト

終電、満員電車、安い飯、短い睡眠時間。そこからくる疲労、ストレス心の闇。まずは生活と疲労を安定させれば何か変わると思うのです。一緒に一歩進みましょう。


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"幸せ"とは『思いこみ』である

 

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前に2ちゃんねるの元管理人の

ひろゆきさんが言っていたことなんですが、

 

 

幸せとは思い込み

なのだそうです。

 

 

それはどういうことか?

 

 

ひろゆきさんは年収数千万円以上のお金持ちです。

そして貯金もかなりの額あるそうです。

 

 

貯金があるという安心感が、

人生にゆとりと多少の幸せを

与えてくれているそうです。

 

 

そして倹約家なのでお金をあまり使わない為、

恐らく貯金を残していつか死ぬことになります。

 

 

この状態ってお金は本当には必要ないんです。

貯金通帳に金額が記されている安心感に

幸せを感じているだけで、

実際にお金があるかないかは関係がないんですね。

 

 

実際に1億円持っていようが、

貯金が10万円であろうが、

自分が1億円を持っていて

幸せであると思い込めれば

それで人は幸せになれるというわけです。

 

 

違う例で言えば、

結婚して子供を作る。

家庭をもつ。

 

 

これが幸せであると私たちは

小さい頃から教え込まれて生きています。

 

 

 

これにより一人の人を愛して

結婚をして家庭を持った時点で、

自分は幸せであると思い込みます。

 

 

これに関しては思い込みでなく

本当に幸せであると反論する人もいると思います。

 

 

例えば国が違えば、

一夫多妻制の国もあります。

そしてこれが自然で幸せなことであると

思い込んでいる人には

一人の人だけを愛することは

幸せなことであるとは言い切れないわけです。

 

 

つまり普遍的に幸せな事象などはなく、

その事象を幸せなことだと思いこめるか

どうかこそが幸せかそうでないかを

決めることになるのですね。

 

 

だとすると幸せだと思い込める

ハードルを下げておくことこそが、

幸せへの近道ですよね。

 

 

美味しいご飯を食べることができて幸せ

天気が良くて幸せ

友達がいて幸せ

本を読めて幸せ

美味しいお酒が飲めて幸せ

 

 

日常にわりと簡単に起きる事象に対して、

幸せであると信じきれれば、

人は幸せになれるわけです。

 

 

じゃあどうやってそれを思いこむか?

 

 

これは日々の積み重ねですが、

声に出すことが重要なのだそうです。

 

 

そうすると脳が本当にそうなのだと

錯覚するそうです。

 

 

だからまぁ人のいないところで、

〜ができて幸せとか

ちょこちょこ言ってみたり、

なるべくポジティブな言葉を発するようにしていくと、

気づいたら幸せになっているかもしれませんよ。

 

 


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謎の『新卒3年信仰』・・転職しても別にいいんじゃね?

 

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3年がんばる? 2年で辞める? 新社会人・新入社員のための「辞め時」の見極め方。

 

 

人生の先輩方は皆口を揃えて、

新卒社会人に

 

 

『3年は働け』

 

 

と口を揃えて言います。

 

 

この『3年』という数字の

根拠はなんなのでしょうか。

そして本当にその3年に意味があるのでしょうか?

 

 

まず、この『3年』という数字には

間違いなく意味はありません。

 

 

これは世間で言われている言葉を、

なぞっているだけです。間違いなく。

 

 

3年で何かがわかるというのであれば、

仕事を3年続けている人の多くに大きな

飛躍を見せていることが多いはずです。

 

 

しかし決してそんなことはありません。

3年目の先輩をみてください。

凄い人もいれば、凄くない人もいる。笑

 

 

この3年という数字には意味がなく、

自分が続けているということ、

自分自身をどうにか肯定したいがために、

他の人の言葉を引用しているだけ

言葉であると感じます。

 

 

 

では続けるという行為自体はどうなのでしょうか。

これを否定することはもちろんできません。

 

 

続けるという行為そのものは

素晴らしいことだからです。

 

 

しかし、合わない環境であっても、

とにかく続けることが美徳であることのように

日本ではうたわれています。

 

 

これにはいささか疑問を覚えます。

 

 

Aという植物はあるAという土壌ではたくましく

生きることができるが、Bという土壌に行くと

瞬く間に枯れてしまう。

 

 

Bという植物はあるBという土壌ではたくましく

生きることができるが、Aという土壌に行くと

瞬く間に枯れてしまう。

 

 

こんな事象が植物界にはあります。

 

 

私はこれは人にも当てはまることのように思います。

 

 

AさんはAという職場(土壌)では輝かないが、

Bという職場(土壌)では力を発揮できる。

 

 

ということが往々にしてありえます。

 

 

また、同じ力を発揮できていても、

職場の求める能力やベクトルが違えば、

そこにおいてはAさんの価値は下がります。

 

 

だとすれば自分に合わない土壌で、

時間をしかも3年という長い年月枯れることに

費やすことのどこに価値があるのでしょうか。

 

 

つまり新卒で続けるべき期間は

決して3年などではなく、

そこの土壌が自分に適したものか

判断できるまでなのです。

 

 

そしてそれは基本的には

他人にはわかりません。

 

 

自分自身で判断して

自分自身で決断をするしかないのです。

 

 

そして社会がいうほど慎重になる必要もないんです。

人生って案外なんとかなります。

 

 

今の職場でめためたにやられても、

次の職場ではトントン拍子で上手く行くことだってあります。

 

 

もし次の職場に行って、

前の職場の方がいいと思ったとしても、

それに気づけただけでも、

大きな気づきなのではないでしょうか?

 

 

だってそのままそこにいたら、

モヤモヤしながらそこにいることを

後悔し続けて最後には死ぬわけです。

 

 

前の職場がいいとわかった。

辞め方がよければ戻れる可能性もありますし、

前の職場のどんなところがよくて、

どんなところが悪いか見えるはずです。

そしたらまた転職したっていいわけなんですよ。

 

 

というわけで、

人生の諸先輩がたの意見は飽くまで

参考程度に。自分の思いを大切にしましょ。

 

 

悩んだ末に出た答えなら

15点だとしても正しい 

 

 

Mr.Childrenの歌詞の一節です。

 

 


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"感謝が薄い" "嘘くさくなる" のは『結果への感謝』しかしていないから

「奥さんへ感謝の手作りチョコをプレゼント奥さんへ感謝の手作りチョコをプレゼント」[モデル:五十嵐夫妻]のフリー写真素材を拡大

感謝の習慣が、いい人生をつくる

 

感謝を伝えるのって難しかったり、

恥ずかしかったりして、

あまり口に出さないことが

多いのではないでしょうか。

 

 

かくいう私もあまり思ったことを

口に出すのは苦手なタイプです。

 

 

以前も職場の女性が髪をバッサリと

切って来たことがありました。

 

 

切ったんだなぁ・・と思いつつも、

髪切ったとかって聞くのってセクハラ・・?

などと考えている間に、

後から出社した若手の社員が、

 

『髪切ったんですね!めっちゃ似合ってますね!』

 

とさらっと言った時に、

やられた!こいつできる!多分モテる!

と思ったことを鮮明に覚えています。笑

 

 

感謝とかいい変化などポジティブなことで、

思ったことは恥ずかしいなどは度外視して

ポーンと言ってしまう方が

気持ちがいいものだと学ばせてもらいました。

 

 

 

それはさておき、

感謝を言う時に、

なぜか薄っぺらいと感じたり、

あまり感謝が伝わらない人がいます。

 

 

リアクションのトーンなども1つ

の理由でもあるかもしれませんが、

1つとても大事な要素があります。

 

 

薄っぺらいと感じる感謝というのは、

結果への感謝

しかしていないことが、

ほとんどなのです。

 

 

例えばお土産をもらいました。

「ありがとう!嬉しい!」

と言ったとしましょう。

 

 

なんかまぁ普通ですよね。

渡した側の記憶に残ることはないでしょう。

これが結果への感謝です。

 

 

ここで、考えた方がいいのは、

もらったという結果への感謝はもちろんですが、

お土産を買って来てくれたという結果に

到るまでの過程もしっかりと

考えるべきということです。

 

 

買う時にはどんなものだったら

みんなが喜んでくれるか考えて、

ただでさえ旅先では荷物が多いのに、

重い思いをしながら持って来てくれた。

 

 

そこまで思慮を巡らせると、

感謝の度合いも変わるんじゃないでしょうか。

また出てくる言葉もきっと変わります。

 

 

例えば夫婦だったら気の利いた旦那さんは

「奥さんにいつも美味しい

 料理を作ってくれてありがとう。」

と伝えるのでしょう。

言えるだけでも優秀なのでしょうが、笑

でもなんだか心がこもっていないように感じる。

 

 

これもやはり、結果への感謝だから。

 

 

奥さんが仕事をしながら家事をしているのであれば、

クタクタに疲れ切って会社を出る。

ただでさえ仕事のことで頭がいっぱいなのに、

夕食を何にするかにも頭を使う。

すぐに家に帰りたいところを、スーパーによる。

疲れているから、惣菜で済ませたいけど、

栄養の偏りを心配して野菜などをカゴに入れる。

家に帰って休みたいところを料理する。

作るだけでなく後片付けもする。

場合によっては作った

料理に文句を言われたりもする。

 

 

とまぁこんな過程がきっとあるわけです。

ここまで想定できていたら、

出てくる言葉が変わったり、

言葉の重みもきっと変わるのでしょう。

 

 

つまり相手への感謝を伝える時に、

結果への意識だけになりがちですが、

そこでちゃんと過程への思慮を巡らす。

 

 

これを習慣化することが、

『本当の感謝』への道なのです。

 

 

というかこの過程への気づきこそが、

全ての人間関係に共通する、

もっとも大事なことのような気もしています。

 

 

感謝の習慣が、いい人生をつくる

 


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不幸な『出来事』や幸福な『出来事』など存在しない?

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人生を生きていると、

色々な出来事に直面します。

 

 

そして、今日は不幸であった。

今年は幸福な1年だったなどと

思うわけです。

 

 

しかし、

不幸な『出来事』

幸福な『出来事』などない

ということにある言葉に気づかされました。

 

 

『誰かが死んでも人は不幸にはならない。』

 

 

どう思われますか?

そんなことない。

親や家族、恋人、友人が亡くなれば、

誰だって不幸になる!

そう思いませんか?

 

 

私もそう思いました。

しかしこの言葉には続きがあります。

 

 

『誰かが死んでも人は不幸にはならない。

 死んだという事実を

 知らないうちは不幸にならない。

 つまり不幸の原因となるものは

 死そのものではなく、

 その出来事に対する

 自信の思いなのである。』

 

 

出来事が起きたとしても、

それが発生した時に人は

不幸になっていないのです。

 

 

それを知った時に初めて

人は不幸になるのです。

 

 

 

人の死ですと極端すぎて、

わかりにくくなりますので、

もっと身近な例にしましょう。

 

 

例えば犬のフンを踏みました。

それに気づかないで1時間過ごしました。

気付いていない間は決して不幸ではありません。

 

 

しかし犬のフンを踏んだことに

気付いた瞬間から

『犬のフンを踏んで汚い・不幸である』

と思うわけです。

 

 

つまりは、

出来事そのものに不幸や幸福という

ものが紐づいているわけでなく、

その出来事に気付いた自分が

それを認知し感じることにより、

幸福や不幸という概念が、

その出来事に紐づくわけです。

 

 

『不幸な出来事』や『幸福な出来事』は存在しません。

 

 

その起きた出来事を

自分がどう捉えるかに

よってその出来事が、

『幸福な出来事』もしくは

『不幸な出来事』になるのです。

 

 

だとすれば、

人の幸せって自分を騙す天才になれば、

結構コントロールできるのではないかと

思うんですよね。

 

 

ある出来事が起きた時、

私たちは過去の経験から瞬時に

これは『不幸な出来事である!』

って判断して不愉快になってしまっていると思うんです。

 

 

しかし、これは後から上書き可能で、

その出来事に対するポジティブな面を

無理矢理にでも考えるんです。

 

 

どんな出来事にだって

1つくらいは無理矢理考えれば、

ポジティブな面はあるもんです。

 

 

戦争であっても、

経済が回るという意味では

いい面を持っています。

 

 

核兵器だって、

国家から見れば、

周りから攻撃されないという

いい面を持っています。

 

 

不倫であっても、

当事者間の一時的な感情は

満たされるという

いい面はあります。

 

 

このように悪とされているようなことですら、

ある面から見ればメリットは確実に存在しているんです。

 

 

だとすれば、

日常に起こるような些細なことであれば、

間違いなくメリットが存在していることに

気づけるはずです。

 

 

無理矢理メリットを見る。

 

 

この習慣をつけると、

人生の不幸が気づかないうちに

少なっているもんです。

 

 

そんな簡単じゃないと思うでしょうが、

何日間かやって見ると、

意外な感情が現れますよ。

 

 

幸せながん患者 幸福と不幸の分かれ道を、あなたはどう選びますか?

 

 


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人生もゲームも『敵』がいなくなるとつまらなくなる

 

人生ドラクエ化マニュアル

 

 

という本を先日読みました。

私は幼き頃にドラクエをやっていたので、

タイトルで惹かれて購入してしまいました。

 

 

人生をドラクエやゲームと紐づけていく

ので非常にわかりやすく、

ハッとさせられることが多いのです。

 

 

1点特に気になった言葉があります。

 

 

『ゲームは、敵がいなくなると、

       つまらなくなる!』

という言葉です。

 

 

 

著者が昔ゼビウスというシューティングゲーム

よくやっていたそうです。

 

 

このゼビウス、ものすごく難易度が高く、

ほとんどの人が途中でゲームオーバー

になっていたそうです。

 

 

しかし、そんなある日、

無敵になるコマンドというのが

発見され、たちまち広まり、

誰もが簡単に全クリアできるようになったのです。

 

 

最初は高揚感もあるのですが、

少し時間が経つと、

無敵であるこのゲームは、

動画を見ているだけのような感覚になり、

非常につまらないものへと変貌したそうです。

 

 

つまり敵とはうっとうしい物でありながら、

楽しむためには必要不可欠なものなのです。

 

 

そしてこれを人生に置き換えると

どうなるか。

 

 

ある『ゲーム(目標)』に対する障壁が『敵』となるそうです。

 

 

つまり、ある企画を通したいとなれば、

 

ゲーム(目標)は『企画を通すこと』

敵は承認をする『上司』

 

であったりするわけです。

 

 

実際にこの場面に出くわすと、

この障壁を邪魔なものと思ったり、

妬ましく思えたりするわけです。

 

 

しかしです。

本当にそうですかって話なんです。

 

 

ゲームの話に戻りましょう。

敵(上司)がいなくなった

ゲーム(企画を通すという行為)は

非常につまらないのです!!

 

 

つまり私たちが人生を楽しむ為には、

敵(上司や障壁)は必要不可欠な存在なんです。

 

 

モンスターの出てこない

ドラクエやっても絶対つまらないじゃないですか。

 

 

レベル50なのにスライムしか出てこない

ドラクエもつまらないじゃないですか。

 

 

倒せるか倒せないかギリギリの敵と

戦うから楽しいんですよね。

 

 

ということで、

人生に楽しさをトッピングしてくれる、

敵に感謝するくらいの気持ちを

持ってみるのもありかなと、

この本を読んで気づかされました。

 

 『人生ドラクエ化マニュアル

 


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男は『分析』して満足する、女は『話』をして満足する

「デートコースが定まらず小一時間悩み続ける男女デートコースが定まらず小一時間悩み続ける男女」[モデル:大川竜弥 Lala]のフリー写真素材を拡大

 

男は『分析』して満足する

女は『話』をして満足する

 

 

この言葉を聞いてどう

思うでしょうか。

 

 

私はまさしくだと思います。

 

 

また、多くの人は納得する言葉

なのではないかと思います。

 

 

 

一点思うのはこれだけ

根本的な思考が違う相手に対して、

お互いがお互いに理解を求めるのは

無理な話ではないのかということです。

 

 

一方は分析したいのに、

一方は話したいわけです。

 

 

これってある一部では交差しますが、

9割以上はすれ違う問題だと思うのです。

 

 

だから男女間って、

普通に自分の思うままに

生きたら絶対失敗すると思うんですよね。

 

 

違う動物と生きているという感覚。

これこそが必要。

 

 

同じ種類の動物だと思うから、

同じような思考や、

自分を理解してもらえると錯覚するわけで、

言葉だけが通じる全く違う種類の

動物であることを

我々は理解して、

相手が何を求めているのかを、

お互いに考えなければいけないんじゃないのかなぁと

思うのでした。

 

 


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『サーカスの象』と『人』は似ているかもしれない

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サーカスの象は小さい頃から、

足に枷をはめられ、

鎖で繋がれているそうです。

 

 

どんなに逃げようとしても

決して逃げることはできません。

 

 

それが何年も続きます。

 

 

するとサーカスの象は、

鎖がついているだけで、

決して逃げられないものと

考えるようになるそうです。

 

 

そして大人の象になります。

 

 

大人の象になれば例え足に鎖が

繋がれていようが、

どこに固定されていようが

逃げることは容易いのです。

 

 

しかしサーカスの象は、

足に鎖が繋がれているだけで

逃げることができないと

当然のように考え、

逃げようともしません。

 

 

この象のことを皆さんは

どう思うでしょうか??

 

 

 

 

 

逃げればいいのにと

思いませんか?

 

 

客観的に見たらそうですよね。

私もそう思いました。

 

 

しかし、本当に象が哀れと

思うだけでいいのでしょうか。

 

 

私たちの足に鎖がついていないと

言えるのでしょうか。

 

 

物質としての鎖は

もちろんついていません。

 

 

しかし幼い頃に

親・先生・友人・近所の人・親戚

に言われて来た言葉。

 

 

それらは私たちの足に

見えない鎖としてガチガチに

結ばれています。

 

 

あなたは

 

 

普通

落ち着きがない

凡人

みんなと同じように

周りの目を気にして

特別ではない

成功するのは一握り

ダメな子

 

 

様々な鎖を結ばれています。

 

 

そして大人になる頃には、

この鎖から離れられないと

確信してしまっています。

 

 

でも本当は鎖は足に結ばれているだけで、

どこにも固定されていないんです。

 

 

象のことを哀れむ前に

何歩か歩いてみるというのは

いかがでしょうか?

 

 

 


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