実るほど頭を垂れるぼやき

年齢を重ねるごとに、成長とともに頑固にもなり、怒られなくなる。そうじゃないだろ。日々小さな気づきで少しずつ成長したい。謙虚な自分に少しでも。

「やれている」ということと「理解している」ということは根本的に違う

何が嫌なのか。

何が辛いのか。

 

これを正しく理路整然と言語化できていたらいくらか楽なのでしょう。

 

なんというか雨が降っていれば「濡れるのが嫌」

とか言えるのでしょうが、

なんとなく曇っているような感じだと

なんか嫌としか言えないんですよね。

 

人間関係に不満はありませんし、

仕事自体だって別に不満はありません。

 

でもなんか疲れてしまったような気もします。

常にアップデートを求められるこの環境に。

 

また自分の追いつかなさが嫌でもあります。

なんとなくで戦ってきちゃった自分の限界というか、

底が見え始めているんです。

 

個人戦って感覚で結構勝負できるんですよね。

でも人を巻き込むとなると、

そこには論理とか確固たるものが必要になる。

 

なんとなくで人は動きませんからね。

 

そうすると感覚的にできていた自分というパターンの

再現性がないことに気づく。

 

言語化できていないということは、

理解していないということなんだなと最近気づきました。

 

「やれている」ということと「理解している」ということは根本的に違う。

 

浅く薄い能力を必死で引き伸ばして使っていたんですよね。

記憶の片隅にある友達の家で出されたカルピスのように。

 

以前占いで言われたことがありました。

「仕事は30前半くらいまではなんとなくでやって、

まぁ失敗もしないだろうね。

35くらいで本当の価値に気づくよ。」

 

まさしくなんとなくでした。

真面目にやってきましたけど、

やっぱりなんとなくやってました。

 

なんとなく目の前に出てきた問題を解決してきました。

長嶋監督が教えるのがあまりうまくなかったような話を聞きますが、

なんとなくわかります。

 

感覚でできてしまうことって、

それはなんとなくできるだけで、

再現性がないんです。

 

プレイヤーとしての資質と

監督としての資質が違うのはそういうことなんでしょうね。

 

まぁもちろんプレイヤーとして突き抜けられるようなタイプであれば

そういう生き方も考えるのも一つです。

 

しかしですよ。

六角形でパラメーターを作ったとしたら、

おおよそ全体的に6〜7割みたいな平均タイプは結構難しいのです。

 

バランスがいいが故の感覚的な人間というのは、

一番厄介で、なんとなくバランスがいいから表面上できてしまうし、

周りからもそこそこ評価がついてきてしまう。

 

でも中身は非常に薄い。

なぜかというと全部なんとなくでこなせてきてしまっていて、

かつどこにも突き抜けていないから、

本質を突きつけられた時に自分の引き出しの異常なほどの少なさに気づくんです。

 

どうやって生きていくべきなのか。

なんというかこれも一つの個性な気もしていて。

 

自分でこんなことを書きながら自分に心の中でツッコミを入れている。

じゃあ何かに特化すればいいじゃないかと。

 

そりゃそうだ。得意な何かを見つけて、

そこに突き抜けていくことが最善だし、

一般的で圧倒的多数が出す平均以上の答えだ。

 

それを言葉として理解することと、

本質的に自分に落とし込んでいくことには大きな乖離がある。

 

世代特有なのか、

育ってきた環境なのか、

興味が薄い気がする。

 

これというものが正直あまりない。

人並みに欲もあり、

別に無気力でもない。

 

かといって以上なほどの性欲があるわけでも、

闘争心があるわけでもない。

 

人並みにモテたいし、

人並みに社会的地位も欲しいし、

人並みにお金も欲しい。

 

全部そこそこだ。

 

しかしそこにある「無常」のようなものも

どこかで強く理解している。

 

理解というとおこがましい。

感じているという程度か。

 

無常な世の中で、どう死んでいくかを決めるレールを

歩き続ける私にとって、何かに没頭することは非常に難しいのです。

 

せめて自己承認欲求や自己顕示欲みたいなものをなくすことができたなら、

もしくは減らすことができたならもう少し高尚な人間になれるのだろうが、

そこも人並みにある。

 

だからただただ情けないのだ。

表面的にはあっけらかんとしていたって、

本当は嫌われるのも怖いし、

周りからどのように見られているのかばかり気にしている。

 

いわゆる他人のための人生を生きている気しかしていない。

ここから解放されることってあるのだろうか。

 

日本は無宗教国家だから、

あまり生きる上で答えとされるものが提示されない。

 

おそらく宗教は弱い人間に無根拠に答えと自信を与える最高のツールだ。

無根拠の自信というのは一番強い。

 

無常な世の中で根拠もいつかはなくなるからだ。

 

この時代に日本に生まれるというのは非常に難しいことなんだ。

安易に答えを与えてもくれない。

かといってそちらに走ることも許されない。

 

同調圧力が非常に強い団体で、

そこから外れることを恐れさせる何かが植え付けられている。

 

かといって本質的な答えはあまりくれない。

そりゃ弱く生まれた人間は悩むよな。

 

まぁこう生まれたことを悩んでも何も始まらない。

進むか降りるかだ。

 

まだ降りる選択は早い気がするので、

とりあえずこの道を進むしかない。

 

進むのであればつまらないのはしんどい。

ただ砂漠を歩き続けるのは辛い。

 

音楽も欲しい

隣に話す人も欲しい

いい靴も欲しいな

景色も綺麗だといいな

 

無い物はしょうがないし、

つまらないと嘆いていてもつまらない。

一つずつ調達するしかないのかな?

 

 


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「かっこ」を変換した時にカーソルが間にくる

今までかっこを変換するとかっこ内に

文字を入れるために結構一苦労だったんですよ。

 

しかし、気づいたら間にカーソルが来るようになった。

 

これって気づきそうで気づかないニーズなんですよね。

 

僕自身面倒だなとは思っても、

そう変化しないかなとは思えていなかった。

 

なんかユーザーに「どうして欲しいですか?」って

聞くのって何か間違っている気がして。

 

ユーザーが表面的に気付けるのって、

あまり価値のない悩みやと思うんです。

 

いかにそういう潜在的な価値とか悩みに気付ける人になれるか。

悩みに先回りできるかっていうのが、

ものすごく大きな価値になると思うんですよね。

 

どうやって気づくのやろ。


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好きになると可能性が広がる

引っ越してきたとき、

小さくてしょぼいべらんだだなって思ってたんです。

 

でもせっかく高層階ではあるので、

ベランダライフ満喫したいなって。

 

そんで小さい机と小さな椅子を買ったんです。

 

置いてみると意外と良くて。

結構ベランダ好きになってきたんですよ。

 

そうするともう狭さなんて気にならなくて、

植木鉢置いたりとか、ランタンを置いてみたりとか。

 

するとかなりいい感じになるんですよね。

 

当初こんなのは想像できなかったんですが、

好きになったことで可能性が無限になった。

 

これって人でも物でも何にでもいえそうだなって。

 

 


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ゾンビの条件

ウォーキングデッドにハマっています。

面白くて本当に自粛期間中の感謝しかないです。

 

やたらと出てくるゾンビですが、

なんであんな気持ち悪いんだろうなぁ

ってふと思ったんです。

 

で、気づいたんですが、

理解できない動きをすると気持ち悪いんです。

 

つまり、非効率な動きって怖いんですよね。

なんでかっていうと理解ができないからなんです。

 

人は理解できないことを恐怖という感情で感じるそうです。

 

人はある程度効率的な動きをしますよね。

まぁわざわざ効率落とす必要はないし。

 

そうすると効率の悪い動きをすると、

違和感を覚える。そして、気持ち悪さや嫌悪、怖さを覚えるってわけです。

 

街にいる変なおっちゃんとかが怖いのも想像できない動きをするからってところが往々にある

と思うのですよね。だもんで相手をビビらせたかったら、

非効率な変な動きをするといいのだと思われます。


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コロナ最中でも「ある捉え方」を念頭に置いておくと人と仲良くなる

外出自粛で精神的な疲労を感じている人少なくないと思います。

 

特に一人暮らしとかしていると、

周りとのコミュニケーションが取れなくなって、

ストレスフルなのではないでしょうか。

 

でもこれ今回一つ忘れちゃいけないのが、

多くの場合は特定の誰かに対してだけ起きる事象なのですが、

今回のコロナによる状況ってのはほぼ例外なく全員に当てはまるってことです。

 

ということはどういうことかというと、

「自分が感じていることはおそらく他の人も感じている」

ということが言える気がします。

 

もしコミュニケーションが減って寂しいなと

自分が感じているということは、

他の人も少なからずどこかで感じている可能性が非常に高いわけです。

 

なぜならほとんどの人が同じ状況だから。

 

そして、さすがにこの状況で新しい人と出会うことは難しいわけです。

 

今まではいつでも新しい人との出会いが常に量産しやすい状況だったんですよね。

だから望めばいろんな出会いがあった。

 

なので、新しい人との出会いを求めるような人なんかは

どんどん次の世界に進んでいくので、

一人一人との時間密度は一定の割合で薄まっていくわけです。

 

もしくはその人が持つ割合はなくなっていく。

 

しかし、今って広がりようがないから、

どうやって考えたって寂しいと思う人は、

既存の交友関係に頼らざるを得ないわけです。

 

つまり、時間密度をどういう割合で振り分けるかの母数は

基本的に決まった状態になるということなんですよね。

 

となると、このタイミングでグッと近寄ると、

基本的に相手は嬉しい可能性が高いし、

今までよりは時間を持て余している可能性が高い。

自分の中の母数が決まっていて、時間の割き方だけの問題になる。

この状態って既に知り合っている人には限られるけど、

結構人と仲良くなるチャンスなんだなって

オンライン飲みを頻繁にするようになってうっすら気づいたわけです。

 

とはいえ、特別何をするわけでもないけど。

 


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家にいるからこそ

家にいるこんな時だからこそ、

家にいるしかないと嘆くのではなく、

家を好きになる工夫が必要なのかなとも思うのですよ。

 

狭いベランダに人工芝とソーラーランタンをひこうと思います。

 

ねれるような感じになったらいいなぁ。


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こんな時だからこそ散歩

こんなに時間があることって基本ないですよね。

本来時間はあるんだけど、

何かに追われてしまっていてゆったり過ごせない。

 

でもこんな時だからこそ、

そんな縛りのない時間を過ごせるんです。

 

ゆったり景色を見ながら歩ける。

違う道。意味のない迂回。見知らぬ建物。

 

新しい発見がある気がします。

こんな時だからこそ。


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