生きるとか仕事とか自意識とか

年齢を重ね経験が増える一方で、常識や固定観念に縛られていく。日々小さな気づきで少しずつでも成長したい。自分なりの「生きる」を見つけるための道。

心も体も「裸」になる場所


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スパのいいところの一つ。

それは人の結構真食った話を聴くことができることである。

 

なんでなんだろう?

なんとなく普段話していないことを話したくなる。

というか話すことが礼儀のように感じる。

せっかく物理的にも裸なのだから、

それらしい心持ちでいることが相手への礼儀のように感じさせるのだろうか。

 

家族との交流がそんなに深くない私は、

正月が一番暇な時期なので、

当然、一人でお風呂に浸かっていたわけです。

 

サウナーになりきれない私は、

いつか「整う」という気持ちを体験したいと思いながら、

チャレンジをしては多分整っていない自分を感じています。

 

余談ですが、

そう言えば一度「整ったんじゃね?!!!」って思ったことがあります。

サウナ→水風呂→外気浴をしていたんです。

すると、外にいるので寒いはずが、

徐々に足先が熱いくらいの感覚になっていくのです。

末端冷え性の私がですよ?!

 

って思ったら普通にお湯がとんでもない量溢れていて、

僕の足元まで来ていたなんてこともありました。

 

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そんなスパで30代後半から40代くらいの男性が将来の話をしていました。

 

Aさん:冴えなそうな男性、多分妻子持ち、ブラック企業で年収多分380万位

Bさん:会話のテンポは良く頭切れそう。見た目は特徴なし

 

どうやらAさんは現状にかなり不安があるはずなのに、

自分に嘘をついて、「でもこの仕事出会うお客様に尽くすことはやり続けたいんだ」

みたいな見た目や声のトーンに合わないことを言っているのです。

 

あ〜自分に嘘つく時ってこういうこと言っちゃうよね。

っていうのの典型みたいな状態でした。

 

Bさんは冷静に質問を投げかけ、

このままじゃやばくねってことを諭そうとしています。

 

Aさんは少しずつ不機嫌になりながら、

心のシャッターを降ろし自分の選択がいかに正しいかの論拠を

並べていきます。

 

そして黙る。

 

ってかお前ら思考違いすぎるけど、

一緒にいて楽しいんか?

どこで友情保っているんや?

って思ったり。

 

そう言えば、よくこういうことってあったなぁーって思うんです。

客観的に見ていると、

「こいつにアドバイスなんてしたって無駄なんだからやめといたれよ。」

って思うんですが、

実際に自分が当事者だとそうはいかないんですよね。

 

ついつい社会的に正しいことを言ってしまう。

でも相手は聞いているフリ。

もしくは心を閉じる

 

これって相手のためなんですかね?

恐らくこういう時の自分って、ベクトルが自分に向いていて、

なんか他人にいかにも確からしいアドバイスをすることで、

自分を優位に保っているような気がするんですね。

 

だって30年もすれば、

わかってくるじゃないですか。

そういう人にそのトーンでアドバイスをしたって聞き入れるわけがない。

もし、本当に相手のことを思って何かを変えてあげたいなら、

もっと別のアプローチをするべきなのに、

絶対効くはずのない自分よがりの言葉を並べる。

 

あー恥ずかしい。

何も学んじゃいない。

 

そんな悦に浸る自分を相手も見抜いているんでしょうね。

だから本当のところは話してもらいにくくなる。

こちらも学びが増えなくなる。

こんなスパイラルにはまるのでしょう。

 

この手の問題に関する正しい解がまだ見つけられていません。

でも、基本的に自分の意見を相手にぶつける必要がないのではないか。

っていうのが今の所の解です。

 

ひたすらに相手の話を聞く。

なんでそう考えたのかを紐解く。

ただただ相手に興味を持つ。

相手を知ろうとする。

 

言葉を求められたときにだけ、

飽くまで一意見としての言葉を返す。

そんな時にごく稀に相手に貢献することがあると思うんです。

でもそんなのって意図しないところで大概起こるんですよ。

だから相手を変えようなんて思わず、ただ事実だけを見つめる。

これしかないんではないのかな?

と、思うのです。

 

中年二人組よ。

あなたたちはどう思いますか?