こどもに関係をする仕事をしていると、
こどもの話題にやはりなるんですよね。
そんな時いつだって「こども」は「良いもの」として扱われます。
確かに生まれてきた生命に罪はありません。
でも、何でこどもって絶対的な「良いもの」として扱われるんでしょうか。
命が全て尊いのであれば、動物だって植物だってありとあらゆる生命が
同じように全て「良いもの」ともっと言われるべきだと感じるのです。
でも、絶対的「良いもの」は「人間のこども」だけ。
そもそも生命が生まれてきたからと言って、
それがなぜめでたいことと決めつけられるのでしょうか。
誕生日がきたら「おめでとう」
結婚したら「おめでとう」
子供ができたら「おめでとう」
あまりにも盲目的に「おめでとう」と言うシュチュエーションが多くないでしょうか。
結婚が必ずめでたいものとは言えないですよね。
極端な例で言えば、政略結婚とかだったら幸せではないかもしれません。
妊娠だって、あまり意図しないものだってたくさんあります。
誕生日にとても嫌な思い出があったとしたら・・。
なのに人はその「状態」でもって、
何も考えずに「おめでとう」と言います。
「この状態になった人は幸せです」
と何かに教え込まれたかのごとく。
人の幸せって「状態」で決まるものだったんでしょうか。
恐らく祝いたいのではなく、
人の幸せを祝える自分を欲しているのではないでしょうか。
この手放しで良いものとする文化について、
私は一定の理解をしたく、少しググってみたのですが、
こどもに関するものは見つかりませんでした。
今後も探して生きたいと思います。
一方で結婚に関してはすごく深い話がありました。
ベストアンサーの回答にはこんな言葉があります。
あなたと同じような考えの女性は、たぶんたくさん、たくさんいると思います。
ただ世間体に邪魔をされて、言えないだけなんです。言えば「変わり者」「かわいそうに」「後悔するよ」などと言われるだけですから。
私のように40を目前にして、世間体のためにしぶしぶ結婚した男性、女性なんていくらでもいると思います(各々の配偶者に対してはとても失礼な発言だと思います、すみません)。
私も今は一応「妻」という立場になりました。確かに結婚して親からも離れることができて、仕事もやめてしまい、責任は軽くなりました。 ですが、結婚式の日に、周囲の祝福ムードとは裏腹に「私は負けたんだ」と感じて以来、その気持ちが消えることはありません。
もちろんこの方もかなり質問者に似通った思考だったからこその
回答でこれが世界の全てではないことは当然分かっています。
一方でこのような回答をしている人がいることも事実です。
その中で、結婚したからと言ってまるで何かのゴールに到達したかのように、
決まっておめでとうと言うことには改めて疑問を抱かざるを得ません。
その「おめでとう」があまりに無責任に感じてならないのです。
まだこの件に関してはだいぶ思考がぼやけているな。
と自分で感じているので、どうにかしっかりと道筋を立てて
腑に落ちるところまで考え抜いていきたいのです。