生きるとか仕事とか自意識とか

年齢を重ね経験が増える一方で、常識や固定観念に縛られていく。日々小さな気づきで少しずつでも成長したい。自分なりの「生きる」を見つけるための道。

不幸な『出来事』や幸福な『出来事』など存在しない?


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人生を生きていると、

色々な出来事に直面します。

 

 

そして、今日は不幸であった。

今年は幸福な1年だったなどと

思うわけです。

 

 

しかし、

不幸な『出来事』

幸福な『出来事』などない

ということにある言葉に気づかされました。

 

 

『誰かが死んでも人は不幸にはならない。』

 

 

どう思われますか?

そんなことない。

親や家族、恋人、友人が亡くなれば、

誰だって不幸になる!

そう思いませんか?

 

 

私もそう思いました。

しかしこの言葉には続きがあります。

 

 

『誰かが死んでも人は不幸にはならない。

 死んだという事実を

 知らないうちは不幸にならない。

 つまり不幸の原因となるものは

 死そのものではなく、

 その出来事に対する

 自信の思いなのである。』

 

 

出来事が起きたとしても、

それが発生した時に人は

不幸になっていないのです。

 

 

それを知った時に初めて

人は不幸になるのです。

 

 

 

人の死ですと極端すぎて、

わかりにくくなりますので、

もっと身近な例にしましょう。

 

 

例えば犬のフンを踏みました。

それに気づかないで1時間過ごしました。

気付いていない間は決して不幸ではありません。

 

 

しかし犬のフンを踏んだことに

気付いた瞬間から

『犬のフンを踏んで汚い・不幸である』

と思うわけです。

 

 

つまりは、

出来事そのものに不幸や幸福という

ものが紐づいているわけでなく、

その出来事に気付いた自分が

それを認知し感じることにより、

幸福や不幸という概念が、

その出来事に紐づくわけです。

 

 

『不幸な出来事』や『幸福な出来事』は存在しません。

 

 

その起きた出来事を

自分がどう捉えるかに

よってその出来事が、

『幸福な出来事』もしくは

『不幸な出来事』になるのです。

 

 

だとすれば、

人の幸せって自分を騙す天才になれば、

結構コントロールできるのではないかと

思うんですよね。

 

 

ある出来事が起きた時、

私たちは過去の経験から瞬時に

これは『不幸な出来事である!』

って判断して不愉快になってしまっていると思うんです。

 

 

しかし、これは後から上書き可能で、

その出来事に対するポジティブな面を

無理矢理にでも考えるんです。

 

 

どんな出来事にだって

1つくらいは無理矢理考えれば、

ポジティブな面はあるもんです。

 

 

戦争であっても、

経済が回るという意味では

いい面を持っています。

 

 

核兵器だって、

国家から見れば、

周りから攻撃されないという

いい面を持っています。

 

 

不倫であっても、

当事者間の一時的な感情は

満たされるという

いい面はあります。

 

 

このように悪とされているようなことですら、

ある面から見ればメリットは確実に存在しているんです。

 

 

だとすれば、

日常に起こるような些細なことであれば、

間違いなくメリットが存在していることに

気づけるはずです。

 

 

無理矢理メリットを見る。

 

 

この習慣をつけると、

人生の不幸が気づかないうちに

少なっているもんです。

 

 

そんな簡単じゃないと思うでしょうが、

何日間かやって見ると、

意外な感情が現れますよ。

 

 

幸せながん患者 幸福と不幸の分かれ道を、あなたはどう選びますか?

 

 


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