生きるとか仕事とか自意識とか

年齢を重ね経験が増える一方で、常識や固定観念に縛られていく。日々小さな気づきで少しずつでも成長したい。自分なりの「生きる」を見つけるための道。

「えんがわキムチ」と「キムチたらこうどん」の話


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この前会社の人と飲みに行ったんですね。

 

色々なメニューを見て私は

「えんがわキムチ」と「キムチたらこうどん」を

チョイスしたわけです。

 

で、言われたわけです。

「キムチ好きだね」と。

 

「お皿にのったキムチ」

 

そう。この注文を見るとどう見ても

キムチ好きなのです。

 

しかしです。私は全くもってキムチが

好きなわけではないのです。

 

なんと、

「えんがわ」と「たらこうどんに」

惹かれていたわけです。

 

むしろキムチは私にとって不要な存在だったんですね。

 

キムチ以外の部分に着目してチョイスして、

2品を頼み、結果として周りからはキムチ好きと思われる。

 

ふと思ったんです。

なんか人生ってこういうこと多いよなって。

 

自分の思い描いている自分(えんがわとたらこうどん)がいて、

それを客観的に見ると全く別の写り方(キムチ好き)をしてしまう。

 

自分自身の仕事観にも少し似ていて、

私は仕事を結構義務感でこなしています。

基本前向きな気持ちで仕事なんかしていないんですよね。

 

「めんどくせぇ」

「早く帰りたい」

 

通常こういう人間には仕事は集まらないはずなんです。

だって前向きに頑張っている人にチャンスを与えたいし、

やっぱりそういう人が信用できますからね。

 

でもなぜか仕事が集まってきます。

 

なんでこんなにやる気ないし、

割とモチベーション低いことを公言しているのに

仕事が集まるのだろうかと考えていたのですが、

まさに「えんがわキムチ」と「キムチたらこうどん」だったんです。

 

僕はやる気がなく前向きでないが、

義務感に駆られてしまうのと持ち前の小心者加減により、

やらなければならないものを必死にこなします

これが「えんがわ」と「たらこうどん」の部分。

 

そして出す結果は前向きな人のそれと共通項があり、

そこを見て僕のことを「キムチ」好きと勘違いしてしまう。

 

僕を苦しめていたのはキムチだったんですよね。

 

この状態を回避するには

「キムチ」を食べなくなるか、

「キムチ」をいっそのこと好きになってしまうかなんですよね。

俺は「キムチ」を食べたいんだ!!と本当に思えないまでも、

口にする勇気が出れば人としては一皮剥けるのだろうなぁと。

 

いやぁ人生も食事も難しいものです。笑

 

 

 

 

 

↓最近読んで面白かった本を最大で3冊くらいまで貼り付けておこうかと思います。笑

 


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