生きるとか仕事とか自意識とか

年齢を重ね経験が増える一方で、常識や固定観念に縛られていく。日々小さな気づきで少しずつでも成長したい。自分なりの「生きる」を見つけるための道。

SNSがこれだけ流行っているのは『承認欲求の成れの果て』ですよね


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嫌われる勇気

 

 

 

承認欲求は誰しもが持っているものですよね。

 

 

人に認められたい

人に認知されたい

自分が有能であると言われたい

 

 

他人からの評価が得てして

全てになってしまいがちです。

 

 

SNSがめちゃめちゃ流行っている

理由だと感じています。

 

 

他人からどう見えるか?

幸せそうか

羨ましそうか

 

 

この判断軸が全てのようになっています。

 

 

本人がこれにより満足しているのなら

いいのですが、

これって本当に幸せなんですかね?

 

 

実際に蓋を開ければそんなに楽しくないことをしていても、

周りから見たり、写真に撮った時に楽しそうであれば

いいみたいな空気が蔓延しています。

 

 

というかもはやSNSにあげる為の

写真を撮りにどこかへ行くというような

事態にすらなっている気がします。

 

 

このように承認欲求の成れの果てが今の

SNSに現れていると思うんです。

 

 

少なくとも私は

そんな幸せは一過性のもので、

非常に空虚なものだと思っています。

 

 

というか他人からの評価に

自分の幸・不幸を決められているなんて

おかしな話じゃないですか。

そんなところに自分の幸せを委ねてはいけないと思うんです。

 

 

 

じゃあ自分の幸せを自分の手に

取り戻すには・・・

承認欲求を捨てるしかないんですよね。

 

 

他人からどう見えるかではなくて、

自分がどうしたいかを考える。

自分がどうできたら満足できるかを考える。

決して身勝手などではなく。

 

 

これを仕事でやろうと思うわけです。

 

 

承認欲求のためであれば、

上司や先輩、場合によっては後輩からどう見えるかで

仕事をしていればよかったわけで

色々と取り繕って生きていればよかったわけです。

 

 

しかしですよ。

承認欲求を捨てる方向にすると、

どうなるのか?

 

 

周りの目は気にしない。

でも自分のちゃんと納得できる

仕事をしようと思う。

 

 

そうすると、取り繕うなんてことはできなくて、

ひたすらやることが見えてくるんですよね。

 

 

今まで割り切ってきた部分もよく見れば、

自分がやるべきだったり、

誰かがやるべきことであれば、

やはり自分の仕事であったり。

 

 

結局承認欲求を捨てようと思うと、

人生がかなり充実する代わりに

ハードモードになるわけです。

ただし、自分の人生を取り戻せるんです。

 

 

どっちがいいんですかね?

 

 

世に言う成功者は後者を選択してます。

そしてこれが正しいと言う風潮はあります。

 

 

でも承認欲求に生きて、

本当に満足していて、

満足のまま死ねるのであれば

それも正解なんでしょうねきっと。

 

 

 


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