生きるとか仕事とか自意識とか

年齢を重ね経験が増える一方で、常識や固定観念に縛られていく。日々小さな気づきで少しずつでも成長したい。自分なりの「生きる」を見つけるための道。

『本には本当に有益な情報など書くわけがない』と思っていた自分は『餓死寸前だった』と思った話


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私は本に本当に有益な情報を

著者は書いたりするものなのかと

少し懐疑的な気持ちを持っていました。

 

 

何故かといえば、

本当に有益な情報など

シェアせず自分で持っておく

方が圧倒的にメリットが

あると思っていたからです。

 

 

 

しかし、本をある程度読むように

なって思ったのは全くそんなことは

ないということです。

 

 

割と人は惜しげも無く

自分の人生で蓄積してきた、

経験や知識を他人に譲ろうと

するのです。

 

 

食事に例えてみましょう。

自分自身は凄くお腹いっぱいです。

なのにどんどん料理が出てきます。

 

 

一方少し離れたところには

お腹をすかせて困っている人がいます。

 

 

そんな時あなたはどうするでしょうか。

 

 

おそらく一緒に食べるように

勧めるのではないでしょうか。

 

 

知識や経験でも同じことが言えるのです。

自分が満たされるくらい

持っている人というのは、

普通に善意でもって

相手を満たそうとするんです。

 

 

では私が何故そのように思えず、

本という存在を疑ってしまったのか。

 

 

私は持たざる者だったからです。

 

 

餓死しそうな程お腹が減っていたら、

きっと人に譲ることを考えることもせず、

自分を満たすことを第一に考えますよね。

 

 

要するに私は知識や経験という

分野において餓死寸前だったわけです。

 

 

だから人に善意があることすら

理解できなかったわけです。

 

 

持っている者 ⇨ 分け与えようとする

持たざる者  ⇨ 独占しようとする

 

 

というのが真理のようです。

 

 

でも一点だけ。

この矢印の向きは本当に正しいのか?

 

 

ニワトリが先か卵が先か

なんて話のように、

もしかすると、分け与えようとする

精神を持っている人が

色々なものを持つようになるのかもしれません。

 

 

少なくとも私達は

『持っている者』か『分け与えようとする』

この2つのどちらかのフェーズに

行かなくては人としての

成長は難しいのかもしれません。

 

 

 


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