生きるとか仕事とか自意識とか

年齢を重ね経験が増える一方で、常識や固定観念に縛られていく。日々小さな気づきで少しずつでも成長したい。自分なりの「生きる」を見つけるための道。

学生に自己分析なんかさせても全く無意味でしょ


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オレンジデイズを観ていて

就職活動を思い出しました。

 

色々な会社を受け、

お祈りメールをもらい、

一喜一憂したものです。

 

そこで私が思うのは自己分析の無意味さです。

 

なぜか。

 

学生時代、ほとんどの学生は自分のことなど

わかっていないと思うからです。

 

むしろ大した経験もしていない中で、

自分の本質というか、

そういうものが見えているはずもなく、

そんなに人って簡単にわからんもんでしょう・・

 

なぜこんなことを言うのか。

私ももちろん当時、

自己分析をしていた人間です。

 

そしてそれから何年も経った今、

当時の自己分析とは全く違う人間が形成

されています。笑

 

というか価値観が真逆にあるというところに気づきました。

 

自分がわかる時というのは往々にして、

大きな壁なんかに当たった時です。

 

学生の時にする苦労なんてのは

大したものでもなかったですし、

自分にもろにのしかかる苦労なんて

ものはほとんどありません。

 

親が盾となってくれているうちに、

本当の自分なんてものが見えるはずもなく。

 

自己分析なんてのは名ばかりで、

取り繕って『こうあるはずだ』だという

理想の自分を作り上げ、でっち上げ、

それらしく見せるために色々な言葉の装飾をする。

 

そういう力を観たいというなら

それでもいいんです。

 

ただ、人事の方も忙しいし、

そんなくだらない学生の嘘なんかが見抜けない

ほどバカでもないし、

そんなくだらない嘘に付き合う時間もないはず。

 

何もない学生ほど嘘で塗り固めます。

そしてボロが出て落ちます。※体験談。

 

でもそんな学生ばかりでしょう。

 

だからこそ自分の何もなさに気づいている

という自己分析ができている学生の方が

余程価値があると思うのです。

 

何が言いたいかというと、

もっと素直に自分を話してみたら、

意外と共感してくれる人多いんじゃないのかなぁと思うのです。

 

少なくとも私が面接をしていたら、

ありきたりな自己分析と志望動機を書かれるくらいなら、

 

『仕事内容には正直興味はありません。

しかし、家に近く、福利厚生の充実した御社は

安定を求める私には最適な環境です!

常に70点位の仕事をする自信があります!』

 

くらいのこと書いてきた方が

興味持っちゃうけどなぁ。

と思うのでした。