生きるとか仕事とか自意識とか

年齢を重ね経験が増える一方で、常識や固定観念に縛られていく。日々小さな気づきで少しずつでも成長したい。自分なりの「生きる」を見つけるための道。

人を『褒めて』も『叱って』もいけない。ではどうするのか?


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相手に何かを強く伝えたいとき、

あなたはどのような伝え方をしますか。

 

■人は褒めても叱ってもいけない

 

褒める、叱る、これは人の成長について考えるとき、

誰もが積極的に用いるアイテムです。

 

褒めても叱ってもいけない、

アドラー心理学では全ての人を『尊敬』するべきだと

主張しています。

 

■ただただ尊敬をすべき

 

そもそも尊敬とはなんなんでしょうか。

 

相手を尊敬しているとき、

私たちはその姿に強く憧れます。

しかし尊敬という言葉が何かと

問われれば明確な説明をできない人が

ほとんでしょう。

 

褒めても叱ってもいけない、

全ての人を尊敬するべき・・

 

全ての人は横の関係にあり、

褒める、叱るは縦の関係の中で

成立する事象だから認めないというのです。

 

■褒めることもダメなの?

 

叱るがダメなのはわかるけど、

何故褒める事がダメなのだろう。

褒めて伸ばすなんてむしろ賞賛されてきた

方法であるというイメージがあります。

 

では何故・・

 

この褒めるという行為の根底には、

承認欲求があるからです。

 

褒められてやる気が出る人、

褒められるからやるなんていう

考え方は逆を返せば、

褒められなければやらないということにもなります。

 

そしてそれは相手ありきの考え方にもなります。

相手にどう見られて生きて、

どうしたら褒められるかが、

その人にとっての人生の最重要課題になるのです。

 

そこで出てくるのが、

『尊敬』という行為になります。

 

■尊敬とはなんなのか

 

ではアドラーは『尊敬』をどのよう定義しているのか。

 

『その人がその人らしく成長、

 発展していけるよう気遣うことである。』

 

と定義しています。

 

これってわかるようでわからない。

 

■尊敬を教育に当てはめた場合

 

これを子供への教育と考えた場合どうなるでしょうか。

 

勉強をしない子供がいたら、

状況にもよるかもしれませんが、

多くの親は叱ったりするのでしょう。

 

しかし、その行為は尊敬に該当するのでしょうか。

 

本人が本人らしく生きるために

気遣う行為として叱る事が正しいのでしょうか。

 

それは『私』の考えを押し付ける行為では

ないと100%断言できますか。

 

■尊敬するための具体的な方法論

 

『尊敬』をするための具体的な方法論として、

相手の関心ごとに興味を持つという事があります。

 

これに関しては自分の関心ごとに興味を

持ってくれる人がいたら、

非常に尊重されている気がしませんか?

 

自分より目上だと思っている人。

 

例えば会社員だとしたら社長。

自分が釣りに関心を抱いている。

社長がそれに大きな興味を持ってくれたら、

あなたはどのように感じるのでしょうか。

 

こんな私のことに関心を持ってくれ、

非常に大きな心の持ち主なのだなぁ

と思うのではないでしょうか。

 

これが子供と親であったら、

より強くそれを感じることでしょう。

 

現実的に褒めるもしかるもしないって、

かなり難しい行為だと思います。

 

しかし、尊敬するという考え方が根付くと、

自然と褒めたり、叱ったりという事が、

その考えに共存しないという事がわかります。

 

是非他人を今以上に尊敬してみてください!^^