生きるとか仕事とか自意識とか

年齢を重ね経験が増える一方で、常識や固定観念に縛られていく。日々小さな気づきで少しずつでも成長したい。自分なりの「生きる」を見つけるための道。

映画で泣かないのにエクササイズコーヒーには何故か心を打たれる訳。


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何度かこのブログで取り合げている

エクササイズコーヒー。

エクササイズコーヒー


 

 

僕が何故この製品を使い続ける事にしたか。

 

最初は

 

・飲むだけで痩せるコーヒー

・口コミを見る限り飲みやすそう

・価格帯も悪くない

・製品ページに信頼性を感じた

・コーヒーがそもそも好き

 

このような理由から興味本位で購入した訳ですね。

 

そして届いてびっくりする訳です。

 

『すごいいっぱい紙が入ってる!笑』

 

写真を撮っていなかったのが悔やまれます。

 

みて見ると、

飲んだ日数をチェックする為の紙

口コミの紙

エクササイズコーヒーを使った料理のレシピ

エクササイズコーヒーの美味しい飲み方・・・などなど

 

 でも一番気になったのは、

女の子が手書きで書いたような文字の

エクササイズコーヒーの新聞です。

 

いわゆる学校に貼ってあった、

学級新聞みたいなやつ。

 

別に内容が素晴らしかったとか

そういうことは全くないんです笑

 

ただ商品を既に買ってもらった以上、

別にそこまで手のこったことする必要ないじゃないですか。

 

まぁもちろん継続してほしいという

意図はあるにしても、

もっと効率的な方法で作っても良いと思うんです。

 

そこをあえて狙ってなのか、

なんか可愛いから手書きでやろっかっていうノリなのか、

なんなのかわかりません。

 

でも打算だとしても、

わざわざ手書きの新聞を作るところに、

製品の先の人の温かみを感じ、

なんかこの製品は信用して良い気がする。

ってなっちゃったんですよね。

 

単純ですよね私。笑

 

でもこれってみんな意外と同じような経験あるんじゃないでしょうか。

人って意外とそんなくだらない事に感動するんです。

 

非効率な手書きの新聞。

しかしそこに製品への愛と、

ダイエットする人への真剣な思いみたいなものを

感じる訳です。

 

これは多分手書きでなかったら

感じていなかった感情のような気がします。

 

人は非効率さに愛を感じる生き物なのかなと

ちょっと思いました。

 

効率的にこなす手段があるのに

そこに敢えて非効率さを入れるのは、

そこになんらかの感情があると思うんですよ。

 

そういえば、恋愛とかも同じですもんね。

ほとんどが不必要なものなのに、

相手が悩んだり、考えたりしてくれた

ことが嬉しい。

 

『敢えて非効率なことをする』

 

相手を思うのならたまに必要なことなのかもしれないなぁ。

 

 

エクササイズコーヒー