生きるとか仕事とか自意識とか

年齢を重ね経験が増える一方で、常識や固定観念に縛られていく。日々小さな気づきで少しずつでも成長したい。自分なりの「生きる」を見つけるための道。

ホリエモン、アドラーが共通して訴えている人生観


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色んな本や動画、コラム

情報に目をやるようになると、

色々な事の因果関係に気付かされるわけです。

 

私は最近堀江貴文さんが結構好きで、

よく動画なんかで対談などを見ています。

 

そもそもは堀江貴文さんが好きなのか、

自分の何かを変えたいと思った時に、

そういう事を話している人というのを、

堀江さんくらいしか知らなかっただけかもしれません。

 

良くも悪くも目立つ存在だから。笑

 

そこで、

いつもの口調で堀江さんが言っていた事が

心にぐさっと刺さりました。

 

誰のために生きてんの?

 

誰のためって・・・

自問自答するわけです。

とりあえずは自分の為に生きているとは思っています・・

という感じでした。

 

その言葉はもっと本質をついていました。

 

色んなくだらない事を気にしすぎ。

周りからの評価だったり、

親がどう思うとか、

他者からの批判が怖いとか。

 

周りはあなたのことをそんなに気にしちゃいないし、

自分の人生なのに他人のための人生を生きてどうするの。

 

ご本人もおっしゃっていましたが、

これはアドラーも全く同じことを語っています。

 

そして色々な本に触れるようになって気づいたのは、

多くの偉人が同じことを違う表現で語っています。

 

これが人生を謳歌できる人と

できな人の違いでしょう。

 

我々は社畜であることをある意味で選択しています。

 

親の手前やめられない?

周りの目が気になる?

日々に忙殺されている自分い酔っている?

社会はこんなもんだから?

 

そして日々に不満を訴えながら生きているわけです。

 

堀江さんに寄せられる質問の中には

ブラック企業に勤めていて、

今後どうしたら良いでしょう。

というような趣旨の質問を目にします。

 

堀江さんは

辞めれば良いじゃん

 

とあっさり言ってのけます。

 

そして質問者は、

でもそんなに簡単にはやめられない・・

色々な理由をつけます。

 

客観的に見るとよくわかるのですが、

やはり選択しているんですよね。

 

アドラー的にいうと、

未来を変える不安より、

現状への不満を取っている。

 

我々はそんな状態なんです。

 

今一度誰の人生を生きているのか。

考えて見るべきなのかもしれません。